Drucker Does Spirituality

Druckerは、今「もしドラ」とやらでポピュラーになった、ドラッカーさんです。
Drucker Does Spiritualityは、ビジネス・ウイークに掲載されていた記事です。

非常に難解な内容の記事だったのですが、マーケティングのベーシックな理論をつくったとも言えるドラッカーさんの発想の根底には、宗教の精神が色濃いというようなことが語られていました。

ドラッカーさんはユダヤ系の人で、ルーテル派のキリスト教にかなり影響を受けたとのことです。
彼はオーストリア生まれですが、ドイツで博士号を取得し、後アメリカに移住してから、大学教授として活動しました。だから、ほぼアメリカという国をベースとして理論は提唱されています。

アメリカは多民族・多宗教の国ですが、キリスト教が最もメジャーです。だから、人々の価値観もキリスト教の影響を強く受けます。

ドラッカーさんは、平たく言えば、キリスト教的な(一部ユダヤ教的な)価値観にインスピレーションを得て、企業のあるべき姿や顧客に対する態度、顧客のものの感じ方などをまとめたというのです。

そう書かれてみると何を今更と感じるのですが、先進国の多くがキリスト教がメジャーな国家だったわけで、日本などは欧米にならえというスタンスでつい何年か前までやってきました。
意識としては「欧米にならえ」であって、「キリスト教的な価値観にならえ」ではなかったのです。

でも、少し落ち着いて考えてみたら、欧米的とはキリスト教的とニヤリーなんですよね。
まあ、キリスト教と言っても、カソリックとプロテスタントではちがうし、そのルーテル派なるものはもっと細分化されているので、ひとことで括るのは乱暴かも知れません。

十数年前、よく政治家や評論家が「グローバルスタンダード」ということを口にしました。
「日本のスタンダードは、グローバルスタンダードじゃない。それではダメだ。」みたいなことを言う人が多かったように記憶します。

これだけ世界が狭くなり、グローバル化したからには、「グローバルスタンダード」があった方が何かと丸く収まるだろうなあということは言えるでしょう。
しかし、欧米的なもの=グローバルスタンダードと単純に考えるのはいかがなものか?

日本は神道と仏教が交錯しながら、国民ひとりひとりが強い宗教心を持っているとは言えないけれど、何となくそれらの宗教の価値観が根底にあるような国です。キリスト教的価値観とはちがいます。
中国は、民衆に宗教があまり浸透しなかった国だという説もあり、宗教よりも「中華思想」の方が強力な国と考えた方が良いかも知れません。
インドはヒンドゥー。

中国やインドがもっと力を持ってくれば、今までの欧米的、キリスト教的価値観がワールドスタンダードなどとは言っておれなくなるといゆうか、既にそんな現象が起きていると解釈した方がいいかもしれません。
アメリカと中国の摩擦、中国で海賊版が横行するのも、中央の強い統制がない限り何でもありという長い歴史の結果と思った方がいいかも知れません。

非キリスト教圏の国が力を持つことで、企業のあり方も学問も、思考体系も、いろんなものが変わる、変えなきゃならないということではないかな?

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