12月23日 私は何をしたか

朝起きたのは9時だった。
夜中、韓国ドラマを見ていた。4時間も。

そして、朝ごはんを食べた。
ビゴのフランスパンと、ツナと野菜の炒め物、柿、バナナ、ミルクティ。

そして、iPhoneとイヤフォンと定期券を入れる袋を完成させた。
だって、阪急で買おうと思ったら3万円台(ゲラルディーニ)だったもんだから、意地になって作った。

材料はジーンズのお古と家にあった刺繍糸と、シェード用の紐。
別途写真は掲載するつもり。今はベッドにいてカメラまで遠い。

その後、親子どんぶりのランチを食べて、英語の勉強。ドラッカーの話で現在翻訳中だが難しい。
ドラッカーはそれ自身元々自由経済社会のバイブルだったが、今スピリチュアルの世界に入っているというような記事。
人々は物質的に豊かになると、次には精神を求めるようになることをドラッカーは予言していた。そんなんのちょっと知的な人なら想像がつく。

モノの次はココロ。

しかしココロって何だろう?
それはモノに対比されるものであろう。モノというのはお金を出せば買えるもののことをさしている。
つまり、ココロというよりは、お金を出しても買えないものを求めるようになるということだ。
常に人は無いものねだり。オウム事件はそのあらわれだったと言えると私は思っている。

無償のものが大切になる。
オウムの悲劇は、集金システムが良くなかったことにつきると私は思っている。
キリスト教は毎日曜日の礼拝で献金を集めるシステムを持っていて、仏教は人が死んでから何年にもわたって集金できるシステム(ビジネスモデル)を持っている。
宗教を維持するためにはこの集金システムが不可欠なのだ。

ココロの世界も金次第か??

そうなのだ。ビジネスとして成り立たなければ、違法な世界に足を突っ込みがちになる。
人は心を求めていて、無意識でその価値に対してお金を払えていれば美しくまとまるのだが、そうはいかないケースが多い。

今世界にはモノすら満たされていない地域もあれば、モノは満たされて精神的に満たされていない先進国もある。

もしかしたら、21世紀のジーザス・クライストが出現するかも知れない。
タグ:ドラッカー
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