節分、教育、厚労省統計不正

なんでこの3つの単語が並んでるの? 不思議に思われる方も多いかと思いますが、私の中では繋がっています。

まず、節分。昨日は節分で、ニュース番組を見ていると、各地の伝統的な節分の行事が紹介されていました。その中で、鬼に扮した大人が家々を訪問して子供を脅かしているものがありました。(脅かす・・はちょっと言葉の使い方が間違っているかも。ごめんなさい。)要は広く知られている「なまはげ」の行事に近い感じです。

これって、一種の教育の一環なんだなあと感じました。悪いことをしたら、鬼に食われるぞ!とか、そんな感じで、いい子になるように教育してるんですね。

さて、ものの善悪とか、人はこうあるべきだといった教育について、最近は不安に感じることがあります。私が子供の頃なら、親とか、お伽噺とか、テレビなどを通じて、そうした教育を受けていた気がします。しかし、最近は親が子供に嫌われたくないといって、子供を叱らなくなっています。また、お伽噺よりもテレビのアニメだったりするし、テレビ番組もどっちかというと人間のダメな部分を「仕方ないな」と流してしまうようなものもあったりしていて、随分様変わりしているのではないでしょうか?

そんな中で、いろいろな事件に遭遇して、「この人って、善悪の感覚がおかしい」と感じるケースがよくあります。もちろん、昔もそういう人はいたでしょうし、割合として変な人が増えているかどうかは分かりません。SNSで知り合って、実際に出会ったその日に殺しました・・・みたいな事件。テレビのコメンテーター的に言うなら、誰だってそうした衝動にかられる事はあるけれど、自分の将来とか、親兄弟の事が思い浮かんでブレーキがかかるというのが大多数の人のはずです。

このタイプの事件は、善悪と教育という問題の他に、バーチャルとリアルのギャップというファクターを含んでいますね。

さて、なんで厚労省の統計不正が3つめの関連ワードとして出て来たかと言うと、これも善悪の感覚がマヒしているとしか思えないからです。なぜマヒしたんでしょうね? それは一種のおごり、そして常日頃から誠実でなくても通用するという状況に甘えてしまっていた結果ではないかと感じます。

第三者委員会による聞き取りが、お手盛り(身内のOB等)+幹部同席のもとで行われた点も、アホすぎて言葉が出ません。まず「統計」というのは客観的でないと意味がないし、仮にサンプリング調査にするとしても、統計的に有効なサンプリング方法を採用すべきというのは常識であります。いや、そうだと私は認識してるんですが、おかしいですか?

もし、統計のイロハを知らなかったとしたら、勉強不足だし、知っていてそこからはずれた方法をとったとしたら、不誠実’(悪)と言われても仕方がない。

全社調査が基本なのに、マンパワー不足のためとか云々で、実際は全社を調査していなかったと聞きました。マンパワー不足は民間企業でも著しく、それがいろんな形で出てきています。既に問題になっている商品の検査における不正などマスコミをにぎわしている物も多くありますが、あまり言われていない部分でも、例えばCMSの利用によって、ユーザーの使い勝手を無視したサイトが増えていたり、専門家の手を経ないために、けったいな日本語が横行したり、言い出したらキリがありません。

人間と言うのは元来出来損ないで、放っておくと不誠実な生き物なので、それをどうにかして正していかないと、世の中めちゃくちゃになるから、善悪なんている概念が必要なのですよね。それは人類が歴史の中で発見し構築してきた大事な概念のはずです。

「鬼は外、福は内」はそれだけ聞くと他力本願的だけれど、人々は福を呼び込むためにこうあらねばならないという家訓や教訓を伝えてきたはずです。節分を単に豆まきや恵方巻きで賑やかすだけでなく、もっとその周辺について思いをはせるべきではないかと思います。
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